ヒストリー

トマルはこれまで90年余にわたり
養鶏を通じて日本の食を支えてまいりました。

Our History 1 1925年、200羽のひなからスタート

トマルの創業者である都丸但一が、200羽のひなを育てることから養鶏の道に第一歩を記したのが1925年のことです。年号でいえば大正14年になります。当時、養鶏といえば農家が副業的に庭先に数羽の鶏を飼い、卵を売って現金収入を得るといった「庭先養鶏」が中心でした。

群馬県は昔から蚕から絹糸を紡ぎ出す製糸業が盛んでした。但一は長男として、農業と養蚕で一家を支えていましたが、桑を育てるための肥料の出費がばかになりません。そこで、その改善策として鶏を飼ってたまごをとるとともに、鶏糞を集めて自前で肥料をまかなおうとしたのです。

数羽の庭先養鶏が主流の時代に、200羽のひなを一度に購入して、未知の世界に飛び込んだのですから、相当に勇気が要ったことでしょう。ちなみに、大正末期のその時代。ある畜産関係の資料によれば、国民一人当たりの年間のたまご消費量は36個とあり、たまごは庶民には手の届かない特別な栄養食だったようです。

このような時代ですから孵卵の技術も未熟で、育種会社にひなを注文しても希望した日に届かないことがたびたびあったといいます。それなら自分でその技術を学び、たまごを産む鶏の親となる種鶏の育成から種卵の生産、孵卵という養鶏の川上の仕事もやっていこうと但一は考え、すぐに実行に移しました。

養鶏をはじめて3年目の1927年、海外から立体孵卵機1セット購入。近所の大工さんにそれをそっくりコピーしてもらって2セットをつくりあげ、計3セットの孵卵機を使って孵卵の業務も開始したのです。そして、このような事業展開のなかで創業者が定めたのが、「養鶏報国」という社是です。養鶏を通じて社会の繁栄に貢献していこうということなのですが、この精神はいまでもトマルのなかに息づいています。

Our History 2 「株式会社 都丸孵化場」として孵卵業を核に事業を拡大

昭和に入って戦時色が強くなってくると、人間の食べるものにも事欠くありさまでしたから鶏に与える飼料がないのは当たり前で、まだ青い麦を刈り取ってそのまま鶏に与えたという話も残っています。

創業者の長男である都丸俊一は、父のあとを継ぐために東京高等農林学校(現・東京農工大学)で鶏の育種学を学び1949年に帰郷したのでしたが、そのとき種鶏はほとんどいませんでした。飼料不足はもちろんですが、戦後の鶏卵増産の機運のなかで俊一に優秀な鶏の作出をゼロの状態から全面的に託そうと考えたからです。

しかし、なかなか満足できる種鶏がつくれません。外国鶏の能力に著しい差を感じていた1962年、日本で最初の米国養鶏視察ツアーが挙行されることになり、俊一は35日間にわたって米国各地を視察する機会を得ました。育種ひとつとっても、ビジネスのスケールは日本とはケタ違いでした。ここで、日本でいくらがんばって育種をやってもとても足元にもおよばない、と海外から種鶏を導入することを決意。その受精卵を孵化させて、ひなを全国の養鶏家に提供するとともに、自社においても採卵養鶏を行うことにしたのです。

ちなみに、系統のまったく違う両親をかけ合わせた子ども(「雑種一代目」あるいは「一代雑種」という)が、両親より優秀な性質をもつことを「雑種強勢」といいますが、これによって丈夫でよく卵を産んでくれる鶏をつくっていくのが育種という仕事です。

こうして俊一は「株式会社 都丸孵化場」をはじめとして、種鶏5農場、孵卵場1ヵ所、育雛(いくすう)・育成4農場、採卵2農場、鶏糞処理場1ヵ所、輸送用トラックセンター1ヵ所と、20年間にわたって用地取得と新農場開設に尽力し、孵卵業を核としたたまごの一貫生産体制の基盤をつくりあげていったのです。

帰郷して間もない頃の俊一と農場
徐々に一貫生産体制の基盤をつくりあげる
創業者の但一と幼い頃の高志

Our History 3 世界第3位のたまごの消費大国で1日170~180万個を首都圏へ

年号が平成と改まって3年目の1991年、俊一のあとを継いだのが、創業者の孫にあたる都丸高志(現社長)です。その4年後の1995年には、創業70周年を迎えたのを機にCI(Corporate Identity)を導入。業容の拡大に伴って「都丸孵化場」という社名では収まりきれなくなったため「株式会社 トマル」に社名変更し、同時にシンボルマークと「Hi Vision. Hi Sense. Hi Quality.」というスローガンを制定しました。

社名変更以降の新農場の開設をはじめとする積極的な事業展開については、このホームページの「会社情報」のなかの「沿革」をご覧いただければおわかりいただけると思います。

さて、たまごはひなが成長するために必要な栄養成分をすべて持ち合わせている、まさに「完全栄養食品」です。タンパク質、脂質をはじめ、カルシウムやリン、鉄などのミネラル、ビタミンAやビタミンBなどのビタミン類が、薄い殻で守られたたまごのなかにぎっしりと詰まっているのです。

とくに、私たち日本人はたまごが大好き。国民一人当たりの消費量はメキシコ、マレーシアに次いで世界第3位で、年間平均320個以上を消費しています(2014年実績・国際鶏卵委員会による)。

このようなマーケットを背景に、たまごの一貫生産体制をもつ企業は国内に数社を数えるのみですが、トマルはその一角を占めています。また群馬県を拠点にしていますから、国内最大の消費地である首都圏に至近の距離にあります。このようなメリットをフルに生かしてトマルは、1日170~180万個のたまごを主に首都圏に供給しています。

そして現在、この供給量のさらなる拡大を図るために、栃木県茂木町に100万羽規模の県内最大級の養鶏場の建設をすすめています。2016年から順次操業を開始して2018年にはフル稼働に入る計画で、これが完成すれば供給量は飛躍的に伸びていくことは間違いありません。

1995(平成7)年、CIを導入
現在、トマルグループの農場の数は県内外合わせて30に迫る
1日170~180万個のたまごを、主に首都圏に出荷